2014年12月30日火曜日

ワーキングプア

晦日にもなる、暮れには評論家標榜も明らかにした。
ちょいと硬派に書いてみよう。

なじみの居酒屋。
チェーンのフランチャイズで、地場オーナーがいる。
ワタミ、ゼンショー、ブラック企業とのルーマーで企業集団的にはシュリンクの一方。
ここの経営者も、かつては繁華街に数店展開していたいう。
しかし、どこもかしこも激戦で、ご自身の加齢もあって、ちょいと田舎の隠れ里風のいまの一店にしぼってきたという。

病欠のスタッフも簡単にやめさせるようなことをしないという意味では決してブラック企業っぽくないが、やはりギリギリのスタッフ数で回していく風景を観ると、ワーキングプアの悲惨はみえる。
店長、副店長、板長、おいまわし。
余裕がない。
観ていてよく倒れないものだというレベル。
実際稼働者数は圧倒的に不足。
しかし、客単価、デフレ、その他の要素を考えれば大盤振る舞いはありえない。
実質的に最低賃金レベルに近い報酬で、名ばかり店長をしている。
副店長もさも似たり。
母子家庭で、いつもギリギリの生活闘争の姿だ。

そこにくるのが団塊以上のロートル。
千円で半日食い物飲み物付きで唄う。
奴隷的労働と高齢者キリギリス。
先日年金の物価補正でカットを激怒する高齢者をたしなめたら噛みつかれた。
少しだけ後行世代になったワーキングプアをあたかも冷ややかにみて、デフレ経済を楽しむ高齢者は正直みにくい見苦しい。

結婚などとてもできず、寝て起きてだけで口を糊する人々が、無理に結婚して、子供を作って、右から左に虐待を余儀なくされるかの風景に、がんばって結婚子作りの勧めは、特攻隊の実行よりきつい罪業性がみてとれる。
子供がなけば、近所からうるさいとせめられ、善意の虐待通報が続く。
誘拐も少なくなければ、いつも子らはおどおどし、子を置いて買い物に行くことも虐待周辺事態との認知認識となる。
子供も親も苦しむために生まれてきたかの生活だ。

そうはいっても生きることが重要だ。
自分のようなノンポリでも、渡世の義理人情で、このような場でボランティア的知恵のしぼりだしに余念のない日々に移行しつつある。
ノンポリゆえ、声高に何かを叫ぶ営為自体にうさんくささを感じている。
だからありうる相互感応で少しでも脚抜けできればいいなと思っている。
幼なじみと久しぶりに邂逅して、こちらに来るように誘ったが、向こうでワーキングプアらしい。
ギリギリガールズ、ギリギリボーイズは、相当な知恵を持たねば、共依存、自爆テロパターンで惨劇すら起こりかねない。

いまやさまざまな世代間戦争や軋轢摩擦の日常化をみれば、我が国も立派な戦時下ではある。