2015年2月11日水曜日

冬から春へ、春から冬へ

某SNSの不自由も少し緩んで春の兆しかとも思わなくもない。
しかし、それもロックドイン中にアプリその他を駆使し、システムのプロファイリングを行い、試行錯誤の結果やっとたどり着いた寛解。

逆にネットに限らず、戻り冬の兆候も。
ネット内外の言動、企画、立ち居振舞いで、訴訟に至るような争いも増えている。
小保方女史の(空)処分発表後に当局が研究費返還の検討とのニュースも流れた。
スタップ細胞はなくともスタップ現象はありうべしの見解も巷に少なくないが、パイオニアを目指せば某暴力集団にまでは及ばぬが地獄に落とさんがばかりの指弾を受けるならば、オーバードクターや若年研究者だけでなく、中堅大御所もリタイアしようかなとなっておかしくない場の荒れ方になっていこう。
言論合戦もすぐに訴訟という風潮になりつつある。
それが欧米風の法化社会と言えば、しばらく前お上からも司法改革と旗振った通りになって慧眼ということになろうが、肝心の司法界がボロボロ。
弁護士の窮乏化は常識となりつつあるが、不祥事も無数に発生している。
今まで通りのムラ社会が崩壊し、ベテラン含めての不採算過当競争の現場で、人様の命の次に大事な金銭や資産を預かれば、横領や詐欺といった誘惑的な犯罪が強く担当者をトラップする。

こういう状況で、戦争や人傷沙汰ほどでなくとも、信用不安や危惧感が強くなり、慎重でクレバーな人ほど身を引くスタンスになる。
人々のドライブがこうなれば、経済のデフレ圧力も払拭できず、世は冬の肩凝り、縮みに戻る。

わが生活も、しばらく延び縮みさせてみると、このような波動を続けて、ささやかに宇宙に痕跡を残して去ってゆくしかないかという結論に至っている。
仏教的無常感の現代版だろうが、この辺りが穏当ではないかと想っている。