2015年2月11日水曜日

無知の知アプリ版

分かりにくい時代という話のアプリ版。

某SNSでマーキングされて不自由なることは既にしばしば言及している。
ところで、これもアプリによって程度が異なるのだ。
PC版のアプリとスマホ・タブレット版のアプリでは、流れるTLや書き込み可否が異なって登場する。
発信も別のSNSソフトと連動させれば、不自由度というか管理者(システム)に影響しない。

こういうアプリ、ソフトによる見え度、疎通度、管理度の違いなどパソコンにさわり始めた頃からイヤほど経験してきた癖に、腑に落ちたのはやっとこのところだ。

これはネット、IT外でも言えることだ。
人間関係、プロファイリングやインテリジェンスを駆使して必死に読み込んでも、わからないとした方がよいところは少なくない。
結婚式のスピーチによく使われる「まさか」という坂だ。
だからこそ、株でナンピン買いと呼ばれる手法が使われたり、リスクヘッジのための金融商品が用意され、人生でも保険だなんだとまさかの手当が商品になっているのだろう。
もちろん、死んだらどうするこうするというレベルまで行けば、まさかの結果を甘受するしかないが、それに関係する残された者への配慮もするのが大人のたしなみとはいえる。

知っていることのそう多くない適切でないといった謙抑性は重要だが、無知の知ゆえその先に想像力を働かせる賢しさも重要といえよう。