2015年2月10日火曜日

歴史の曲がり角

ネット渉猟していると、これはただならぬ転換期と気付く。
国内外、遠く、隣人問わずである。

いわゆる日本的リベラル、「護憲派」などが言う意味を超えてである。
わが誕生は、戦後十年足らずで、戦争の傷がずいぶんと癒え、親たちも戦時下の体験談を思い出と語る中で育った。
その後は、高度成長一途で、ピーク前から石油ショック、バブル、バブル崩壊を経験したが、現下の世界中の主要国が欧米、アラブその他が一致して与して、007のスラッシュのごとき悪の集団ISIS,ISIL通称イスラム国と呼ばれるテロリスト連と闘う図など全く想像もしなかった。
飽くまで娯楽スパイ映画の上の話でしかなかった。

近隣もそうである。
故郷とそう遠くない地で、はたちすぎの青年が隣近所の小学生を殺害した。
何らかの遺恨がありそうである。
全国で、小学生から大学生まで、同級生を惨殺する事件が絶えない。
戦後の混乱期にはもっと多くの、粗暴な若者の殺人事件があったというデータはあれ、戦争直後の混乱期、飢えや生きる必要、貧困とその圧力ということで、それなりに理由をつけることができ、一応理解はできなくもない。
ところが、長者番付に出そうな(今はないが)セレブの子弟や旧帝大の学生といった「恵まれた」子供たちも、あるいはだからこそ起こしたかもしれない悲劇が、いま起こりつつある。

斯くして、遠近まちがいなく未曾有のアウラがわれらが界隈をプノイマとなって徘徊していることは間違いない。
別に悲観論を好んで選ぼうとは思わないが、多分これら前兆が大きなビッグウエーブとなってわれわれを押し流しかねない。

阪神大震災、東日本大震災は記憶に新しいが、鴨長明の方丈記は災害戦乱のレジュメである。
そういう国であるという自己認識で、この歴史の曲がり角に立つ。

そこからスタートなんだろうなと思う今日この頃。