2015年2月10日火曜日

自己認識

このところ相当の見識がなければこの世の出来事が見透しにくくなってきた。
国際化、情報社会、暮らし向きのおひとり様化その他あげ出せば無数の要因はあろう。
そんな状況でもエネルギー一定の法則や矛盾したオプションは同時に選べないというトレードオフということもある。
そうなると無明とまでは言わないまでも、結構頼りない暗がりを歩いている図となる。

勿論そんなことは大昔から古代人もお見通しで、色即是空、魑魅魍魎、パピルスにも今の若い者はと書いてあり、無常、予測困難、環境変化で一般的定言は容易でないことは常識では来ている。

そうなればみんな惚けのようなものでもある。
認知症の診断基準等をないがしろにするという意味ではないが、文脈、常識、時代変化へのセンシティビティなどを加味すればベビー層を除けば一億総惚け状態ともいえるだろう。
とりわけ他国に渡らずとも、自爆テロ、通り魔 、ストーカー殺人などが国内近所でいつ起こっても不思議でない時代。
要は信用不安が普遍化すれば、被害妄想、護想過剰防衛的イクウイップメントたっぷりの人々も増える。

そんな中で逆に無関心能天気パッパラパー、デスペレートどうなとせいといった人々も増える。
そういう時代状況、世相を見て己にできることは何か?
自分も惚けてはいるだろう自己認識の歪み、しこり、たわみを、ストレッチ、リラクゼーションでほぐし、ゆるめ、ナチュラルにする。

そんなところだろうか?
それにしても人生一周ちょいとで見返せば、よくもまああんなこんな無茶苦茶で生きてきた生きてこれたもんだ。
周囲に迷惑かけた分を償えと、神仏、天に命じられ、今しばらく筑波のガマの如く脂汗流しながら、小野道風の蛙のようにピョンピョン飛び続けなければならないのだろう。