2015年2月17日火曜日

諦め

曽野綾子女史がバッシングを受けている。
亡くなられた池田晶子女史も、他人の闘病記を辛辣に語ってその患者のファンから嵐のようなバッシングを受けた。
まあ、この方々がこう言えば、ああいう奴がウンカの如く涌いて出るのは必定。
ネットのせいでもあるが、日露戦争の頃からある。
政治家は命懸けだった。

今日のテレフォン人生相談はぬるい女性が相談者だった。
浮気3年で本気になり結婚したいという。
親も、ラジオの担当弁護士も「あんたの思うように旦那騙して円満に別れられないだろう」とアドバイスするが、本人にはピント来ていない。
旦那には慰謝料請求され、思春期の子供には唾棄され、相手ともこのような諸々で嫌気がさして別れるのが関の山と岡目八目では見立てられるが、本人だけが分からない、分かれない。

このところ士業の窮状を奇貨として変テコ売り込みの電話ファックスが多い。それ臭いものは速攻着信拒否にするが、冒頭に書いた言論摩擦と同様にストレスフル、面倒である。
そんな時代にテレフォン人生相談のご婦人の如く能天気でいられるのは、ある意味で恵まれているのだろう。
都会の魚は釣れにくいというが、焼き魚にもなっていない。

まあ、どの時代の時代人も老若男女、こんな時代に生まれてきたかったと生まれたわけではない。
生まれたのやら、産み落とされたのやら、主語も文法もあやふやで生きてみたら、いまここである。
諦めろといったところで、諦めきれぬと諦めるのがせいぜい。

ということで、シコシコと神や仏や天が宿っているらしき細部をこなし、付き合い、生き往くほかないのだろう。