2015年2月13日金曜日

底と天井、ポートフォリオ

メイン機で使っているのが某外資系社製のネットブックだ。
かつて最低限ネットやワープロに使えればいいと銘打ってリリースされた2、3万の安物である。
今朝もブラウザを実質広げられない。
USBのジャックも壊れてるのか半壊なのか一人前いかない。
なぜそんなものを使うか?

最悪でもないが、やっとこ使える代物。
それで何とか使えれば、底を知ることができる。
最先端の機器でも、壊れれば、壊れかければ一瞬でこれ以下になる。
それを意識するためにも、また他機のメリット、スペックを実感するためにも壊れるまで使おうと思っている。

一番新しいもの、いまのところ庶民には痛いがこの程度がアッパーかというものを使っていると気持ちはいいが、実際に使いやすいのは中ぐらいの品である。
適度に使い込んでいて、なれてもいるがそう陳旧化もしていない、そういう感じのものが一番なじむ。

こうしていろいろと使って訓練、投資、ポートフォリオを試みているが、これも当てにはならない。
災害や戦争などといった大文字の厄災でなくとも、パイプのひとつも破綻すれば、マンションの復旧に己の蓄えでは足りぬほどの事故になり得る。ガスなら死ぬ、いわゆる植物状態になりかねない。
そうなると、中途半端なポートフォリオなんぞ、結婚式の祝辞の「まさか」という坂で瞬時にまっ逆さまにクラッシュする。
そういうリスクの中で、怯えきらず、夢や安らぎ、本気のプロジェクトを持って往くというのが人生の醍醐味というか、諦めどころだろうか?