2015年2月20日金曜日

むくいる因果

親の因果が子にむくいなんて諺があるが、このところそうだなと思うことしきり。
別に血統論や富貴貧弱の話ではない。
岡目八目で、ああしてればこうなるわなあ、こうなら次はああだろうと見える話。
親があのありようで、子にこのような対し方してれば、すぐに、あるいは積年の繰り返しでこうなるだろうことは多い。
中には反面教師にして、あの親にして、こんな子ができるのだなあなんてこともありだが、そういうことはレアである。

別に親子関係だけでなく、人間関係、環境問題ほとんどがそうである。

もちろん、こうすればこうなることとは知りながら、あえてこうするというようなかつての志士のような選択もあるが、そういう美学もこういうところに育って醸成されたものである。

このところ自分についてはほとんど諦めている。
まあこういうもんだ。
そう外れてない。

人様の場合は、自分に与えるアドバンテージ、贔屓がない分だけ岡目八目分は辛辣になる。
その論理、その選択だと、あんたの言ってるやってる逆になるだろう。
そうすぐ気がつくものだが、このところこちらのほうも諦めている。
他人様も自分と同じく緩いアドバンテージを享受して愚考権を行使しておられるわけで、それを滅茶苦茶に論難しても始まらない。
まあ世間を見渡すと、ちゃんと批判も出てきている。
他山の石程度が丁度いいのだろう。

某右派勢力の内ゲバもウオッチングしてみると、いずれ起こるだろうと思っていたパターンである。
天網カイカイ粗にして漏らさずなんぞというのも同様の意味なんだろう。