2015年2月8日日曜日

量子力学的時代

このところSNSの連携が進み、己もその機序やトレンド、機微が少々わかってきて、摩擦係数ちょうどよく滑らないで移動できるようにもなってきた。

それで気付くこと。
まず報道が難しい。
発受信ともに。

ニュースというぐらいで、古いとニュースでない。
早稲過ぎると実がなく、砂利が入っていたりで口にできない。
そんな時代ゆえ、マスコミでなくとも立ち居振舞いが難しい。

SNSだけでなく、口コミ含めてさまざまな階層で情報が到来する。
玉石混淆真偽不明、センサーのこちらもリテラシーは昨日と異なり、おとしどころは混沌と呼んでいいるつぼ。

つまりは、シュレ猫ではないが半分生きて半分死んでいる。
半分真実で半分嘘。
そんなところで多々いままでにない悲喜劇も生まれようが、いまのわが関心はそれでも豊潤で感動的なシーン、物語が可能かといったところ。

その辺りは、昭和天皇の仰せられた文学的問題でもあり、容易に言葉にできない。そこがよかったり、大変だったりする。