2015年2月6日金曜日

することしないこと

する、あるいはしない。
実に微妙である。
人生思い返せば、あそこでしていれば、していなければ、死んでたかも、死なせていたかも、それほど大層なことでなくとも、人生えらく変わっていたような岐路はいくつかはあった。

また違う見方をすると、自分の癖、自分が選ぶ環境、オプションを思い返せば、こうなるのが必然だったのかもしれないとも思う。

いま盛んな分子生物学の先駆けであったジャック・モノー氏は「偶然と必然」なる一種の科学哲学書をものし、上記のような議論をなしている。
偶然と呼ぼうと、必然と呼ぼうと、いまこのようにあり、かく静動を展開しているのは、このとおりであり、これ以外ない。

ただ、しばらく前に、いまと違ったリテラシーや情報を持っていたことを思えば、実にきわどいなとも思う。

知ってしまえばそれまでよ、知らないうちが花なのよ~♪なんて戯れ唄があるが、実際はそのとおりである。
だからこそ未明の第六感を研ぎ澄ます必要もある。
そこには自分はいつも外すとか、絶対にメジャーでなくマイノリティーだなどというパラドキシカルな考慮も参入させなければいけない。

このところ、こういうことを思いつつの、エイヤーの連続である。