2015年2月16日月曜日

一粒の砂

確か「真理を見つけるのは砂浜に一粒の砂を見いだすようなもの」といった名言を読んだことがあるように思って調べたが、多分この人の言葉かと思っていたニュートンの名言集にも出てこない。

まあこのような格言があるとして、このところの「真理」は文明の利器、最先端テクノロジーを使って行い、領域の拡大、進化、深化が止まるところを知らない。
そうなると量的にも質的にも追い付けない、専門家と称しても部分化狭細化は必然となり、全体像や哲学など想いをはせている余裕などなくなる。
そうすると一人の人間としては凡庸な判断力のほかよるべないゆえ、本当の専門バカが出来上がることになる。

これは学者研究者専門職に限らず一般人も同じ。
情報は処理できないほど接触するのに吟味する余裕もない。
子供や若者が少子化だからと大事にされるかというと、親や学校や職場、世間に大事に育まれるかというとさにあらず。
さっさと大きくなれ、トラブルがあったらおれたちの責任になるから無難に立ち居振る舞ってくれ、それではぐれたら過酷な処遇をいただく。
ホントにのんびりしない。

こういうことを考えると、冒頭の「真理」を「適切なありよう」で置き換えると、これこそ万分の一、億分の一の歩留まりだろう。
これを思い知ったのも、このところの必需品SNSである。
一定以上のactivityを経験してみると、管理者がどう動くか、人々の裏や表が好事家的興味に関係なく見えてくる。
そうなると過剰な思い入れやインタラクションなど不要、自分とは関係のないところで各位の興味や利害は動いており、どちらかというとこちらはビハインドにして、一粒の砂の探索や研磨に勤しめばいいことがわかってくる。

ということで、このスラプスティックな時代、よくも悪くもこの辺りから出発しないと間違うという気付き。
一回りプラスアルファーでも思い知らされること、日々是再々。