時代は変わった。
近代は相克があれば突き合わせ、ズンチャッチャと弁証法的に進めていけというのがパラダイムだった。
いまやそれをやっていると暇がいくらあっても、命がいくつあっても間に合わない時代になった。
特にオウムやイスラム国でなくとも無茶な連中はワールドワイドになっている。
個人でも殺してみたかったなんぞという鬼っ子が珍しくなくなってきた。
ドストエフスキーの小説やカミュの小説の主人公にはいたが、町場ではまずみないというタイプの人格障害度の高いご仁が隣にいても不思議でないといった体感不安が普遍化しつつある。
一種の信用不安の遍在化である。
そんな中でもいまだに一丁噛みを画策する好奇心は失せていない。
地の塩になろうというような殊勝な心掛けは持っていないが、死ぬまではその手のジャンルのありようを掘り下げてみたいという色気は十分にある。
そんな自覚の中で、スパムメールがほとんどのなかで本格的にやり取りすべき歩留まりが、せいぜい百分の一、二というのが助かる。
すべてがガチンコの全力投球となれば、過労死するほかないからだ。