2015年1月23日金曜日

板子一枚

下は地獄か、天国か。

実際に成功と我々が考えるところと、失敗と考えるところとは僅差である。

認識主体である我々自身が浮動的であれば、成功と失敗の判断すら非常に危ういものである。

お釈迦様が天上天下唯我独尊といい放たれたのも、漱石が則天去私、鴎外が「かのごとく」の哲学にたどりついたのも、このようなあわいを知ったからだろう。
現代風にいえば、量子力学的、相対性理論的認識論といえばよいのだろうか。

気がつけば、そのまま淡々と進む。
それが筋ということだろう。