2015年6月14日日曜日

午後の紅茶

毎日が日曜日に近い日常性とはいえ、ほんまもんの日曜祝祭日は悪くない。
過剰同調社会の刷り込みがあるが、徐々に離脱しつつある。

BGMには、桜チャンネル日曜恒例座談会を流している。
中国の現状というか、切迫崩壊の姿を語っているが、北朝鮮ほどいかないまでも惨状から逃散、難民が押し寄せたらどうよ?ってのは語られない。
核兵器のさやあても語れない。
リアリズムから政府と同じで禁じ手にされているなか、右左巻のヘイトスピーチが一番気楽だろう。
なりわいで、反戦自衛官が恩給もらいつつヘイト続けたり、連赤残党が蟄居せず動いたりは、生業上わかるものの、好き放題を言えている現実は実に情けなし。

ところで、我は人嫌いの寂しがり屋。
近所のスイーツスペースにも赴く友もおらず、犬娘犬息子と遊ぶ。
ところで、昨日さやあてアップしたお師匠も猫持様。
犬猫は、人間みたいに口はばったいこと言わぬがいいと「ネコばかイヌばか」のごとく一致。
言語系は明確にはなく、犬猫バージョンでしかないが、スピリチュアリズム的には自己表現のありさまはよくわかっている。

犬猫まんせーの「友達」も、逆に動物実験等かわいそうは所詮センチメンタリズムと唾棄する「友達」もいるが、その中間の矛盾の空間で生きるのが大半のようである。
もう人生で最後の機会と思いつつ、人間の生老病死と愛別離苦などに似たペット版の四苦八苦を思い怠惰いいかげんに頑張っているわれではある。
故池田晶子の、ペットロスは、親の死に目よりつらいという気持ちはわかる。

大学の教室から、某科領域での「医療紛争はこう防げる」という講演オファーに、紛争勃発自体は予防不能と謝絶。
謝絶後申し訳なく思い、これからホームページでも見て、尻ぬぐい、必要なら再考してみるつもり。

let it be.
スターリンにピッケルで頭割られたトロツキーの映画もう一度みたいなあ。
DVDはアマゾンでプレミアつきレア品。
監修的働きした小児科先生松田道雄、天上でこの世をどうみてるかなあ。
トロツキーの秘書をたらしこんでスターリンの頭かち割ったアランドロン。
「太陽がいっぱい」でヒースリーフになりすましたアランドロンそっくりの俺が、幼なじみの出世頭S教授君を海中に引っ張ってホテルに入った夢を見たと、これまた幼なじみのMちゃんに話したら「アホか」と笑われた。

人生はこういう夢の続きと思いながら、日曜日の後半に向かう。