2015年6月10日水曜日

生きる

巨匠黒澤の代表作のひとつ。

志村喬演じる、末期胃ガンを自覚した初老の市役所総務課長。
役所を無断で休んで、自殺念慮も抱えながら彷徨する。
早死にした嫁さんとの間でできて男一人で育てた息子は、いろいろと邪推し、おじおばにも、女だ、放蕩だなんだと焚き付けられる。

森毅先生によく似た伊藤雄之助演じるデカダン作家の尻について、今まで行ったことのないキャバレーなどの享楽の場で遊び周り、最後は「命短し恋せよ乙女~♪」とゴンドラの唄を歌う。
役所に飽きておもちゃ工場に転職した若い女性にもついてまわる。
セクハラはしないが、話を聞いて欲しがり、息子の愚痴を話すと「別に生んで欲しいって頼んだわけじゃないし」と辛辣に返される。
現在の家庭の中の孤独、寂しさを、ずいぶん昔に活写している。

職場復帰した主人公は、必死で官僚主義ややくざと闘って、ささやかな公園を作り、そこでゴンドラの唄を歌いながら逝く。
息子夫婦には、財産目録等ちゃんとわかるように整理していた。
通夜で同僚らは主人公をしのび官僚制打破を叫ぶが、葬儀も終わり係長が課長に昇進しても、元のままの姿のお役所風景に、夕焼けに照らされた公園が映される。

話は飛ぶ。
自分の話。
SNS等ネットも、馬糞飛び交うようなイデオロギー論争やスパムには飽き倦み、逆に冷ややかに見ていた「友達」もプロファイリングしていくうちに、彼、彼女も大変な生を享受してるのだと知る。
生老病死、愛別離苦等四苦八苦はいまの時代に始まったわけでない。
徒然草で吉田兼好が儚んだ人生は、少子高齢化のいまもそう冗長を許すわけでもない。
馬鹿なイデオロギー論争で、「原発がミサイルで撃たれりゃ核ミサイルいただきと同じ」と左がいえば、右も「こちらが打ち込めないか」と、まるで癲狂院のつぶやき、咆哮のごとく。
こういうこと等々にも倦んで、わがアップの下火になり、ゆるりとこんなことを書いている。
だが、ひとみしり部分も強い人間動物園好きで、ポークなどという肉みたいな名前の挨拶も楽しんでおり、なかなか上手に生きられぬ。

話は再度飛ぶ。
ネット同様、電話もスパムが多く、ブロックなどすることもままあるが、気の毒と思うコールには応じている。
金にもならぬ仕事中にも、悪質売り込みのスパムも増えるばかり。
そこにそれを嘆く、指弾する同業人グループのファックスなども迷惑。
時間どろぼうの超限戦状態が昂じて、どこもかしこも「質の向上のスローガンに現実の劣化」がミゼラブルに進む。

上手に生きて往くのは、釈迦のころも、いまも至難の状況は変わらない。