2015年6月16日火曜日

(昼のグレープジュース)

暑い。
内地の関西や関東に居住まった経験もあるのに、それなりに夏は暑く、冬は寒い。
愛犬を熱中症で失い、われも罪人。
贖罪金も、表現力もないから、ひたすら夢の中で謝る、泣く。
元嫁、元彼女その他いやほどの人々に「はやく死ねばいいのに」と呪詛されながら、二度死にかけて三度目の正直を待ちながら未だくたばらずにいる。

暑いのでペットボトルを離せない。
阿闍梨の千日行のまねを発心したが、百日も持たず、すぐビール、ペットボトルの徒になっている。
そういう己の姿をつくばのガマのごとく直視すれば、すぐに不能は自明と知るはず。
この年で、急にアーチャリーも伊能忠敬にもなれはしないぜ。
オウムなら三女のニックネームになるが、四女の認識に近くなることはできても、三女にはなりようない。
歳のせいでなく、これは資質。

まあ病原体だなんだと超限戦の戦時下まっさかり。
そうとわかっている人々は、おののきつつ動いているが、のんびりスマホ見する子、スコラ論議に興じる人々、まあそのスクランブルそれこそが現代。
訓詁学はもう無理だろう。
モデルはもうない。

ペットボトル症候群に陥らないように、脱水にならぬよう、電解質異状にならぬよう、飲めや歌えや働けや。
端を楽にしたくも、モデルもなければ、方途も敵も定かでない。
ぼやいても、ぼやいても死ぬまでジグザグと生きるぞ。