2015年3月6日金曜日

やってみないとわからない

マシンの具合も使ってみないとわからない。
マシンのせいかと思っていたら、電波状況だったり。
加えてマサカ!というような坂もあり、そうなると歩留まり考えて余裕の必要もわかったりする。

味も、質感も同じ。
そこそこのところを達成するには、試行錯誤、時間が要る。
自己満足のレベルでも、それは同じ。
芸術家が気に入らぬと苦労して完成させた作品をぶち壊すのは、そういうところから来ているのだろう。

ニャンスは少し違うが、養老翁などが変わるのは自分というのも、これにさも似たりやもしれぬ。
自己満足というのは、あくまで自分のなかでの満足ゆえ他人様の賞揚唾棄からはずれる。
自分のインプットアウトプットで自分もメタモルフォシスを経て、他人様の毀誉ホウヘンはさはさりながらこれじゃワイなというのが、それなりの自己満足。

相当の紆余曲折、これじゃあかんとぶち壊すを繰り返し、やっとこまあこんなもんかといったところ。
今日もその繰り返しかな。