2015年3月16日月曜日

紙一重

休みの夕に、コラムニストと科学ライターの対談アーカイブをYouTubeでみた。
アーカイブといっても極く最近のものだ。

勝谷某氏も政治だ風俗だばかりで走り回っているのかと思ったら、このところ自然科学づいているという。相手の竹内某氏は理論物理の研究からそれて科学ライターになったお方で、どちらも賑やか。間に若いアシスタントのお姉さんが、素人感想を上手に挟む。

素粒子の動態や宇宙論の話を聞いての感想は、初めてではないが、いつもシュールで、何とかと何とかの間は紙一重と言われるようなわからなさを感じる。
どちらも土素人の領域だが、仏教哲学などにも似ていると思えど、いくら色即是空と耳にすれど、死んでも骨は残り、しまいには化石になったりする。
そんな即物性と、理屈上の訳わからなさも両立はするような気がして、まあワケわからず生まれて、ワケわからず生きて、ワケわからず死んでいくらしいことは、このごろ骨身に沁みてきたから、あとは体験の始末だけだろう。

先般も、ノーベル賞候補レベルの俊才が、病死その他で亡くなったが、別に不思議でなく、普通の人がよく亡くなるようななくなり方だ。
洋の東西問わず、もっと長生きされたビッグは、そこで宗教的なこともおっしゃるようになる。
この辺りも、よくあることというか、よくにている。

紙一重から神一重になって顕在性を持った個人というシステムからは失せる。
諸行無常なり。