2015年3月15日日曜日

レバタラ

深夜食堂のある回に、レバニラとニラレバが出てくる。
どこが違うのだろうと調べてみると、どちらが主かの違いにすぎないようだ。

レバタラとタラレバの違いもよくわからないが、レバタラ、タラレバ、どちらでもいいが、仮にこれがこうなっていたら、結果は真逆だったかもよという議論がよくなされる。

この前どこかで織田信長が本能寺で焼き討ちに合わずに天下を取っていれば、日本は世界の覇権国になっていたかもという記載をみた。
義経は死なずに、実はジンギスカンになったのだという途方もない話もあるくらいで、レバタラを超えてトンでも歴史噺に飛躍することもままあり。

しかし、実際はそうなるべくそうなった、こうなったということがほとんどだろう。

先日久しぶりに戦国自衛隊のDVDを観たが、近代兵器は確かに戦国時代に比べれば超弩級の破壊力を持つが、砲弾や燃料が続かなければ、いずれただの箱や筒になる。

レバタラでなく、だからこうといったところで物事は進む。
そしてその原理はというと、勝者必滅会者定離。
わが国得意のもののあわれ、無常ということ。
だからこそ、レバニラいやレバタラは精がつくのだろう。