2015年2月3日火曜日

無知の知

都市機能は維持されている。
道北の写真にはほとんど埋もれた車が写っているが、都心はそうでもない。
コンビニの品揃えを見れば普通に流通は維持されている。
積年の学習の尊いところだ。

学習で心もとないのは、鳥や獣についてだ。
カラスや小鳥は飛んでくるし、近所の樹木も小鳥の鳴き声で賑やかだ。
ではキタキツネや蝦夷リスはどうか。
熊は穴で冬眠し、小動物は樹木の窪みに潜み暖をとると公開講座のフィールドワークで学んだ。
中くらいの獣はどうしているのか?知らず。

知った積もりで知らぬことの多いこと。
それが宇宙から素粒子まで、国際関係からご近所付き合い、親子男女関係まで語る。
実に心もとないがそれが実際のところだ。
無知の知、センサーとしての己の限界に十分な謙抑性が必要な所以である。

2015年2月2日月曜日

ミッションインポシブル

スパイ大作戦なんていくつ位で見たのだろう。
指令のペーパーは燃え尽き、エージェントは自己責任を告げられる。
まあ、現実の世界でも当局は一切関知しない。

それがわかっていながら、そのような任務に喜んでついた人間は全知全能を傾けて完遂に突き進む。
そこにあるのは多分好きというところだけだろう。
好きこそものの上手なれという言葉があるが、下手の横好きという言葉もある。
そもそも天職、命懸けになれる仕事、やりがいなどそう簡単にあるわけではない。

足掻いて紆余曲折しながら出会ってしまうようなものだろう。
さて、このように思ってわが足下を照らせば、どのような反射光が見えるか。
いまだにしっかりと足下を見つめる余裕はないが、最後の生きがい死にがいを模索していることだけはまちがいなさそうである。

人生いろいろ

豪雪だ。
玄関を出るために必死で掃除をしてコンビニから帰るともう一仕事しないとまずい状況。
きりなしである。

何が好きでこんなところに居るんだろうと思う時期もあったが、今は結構面白がっている。
20数年前、遅れてきた入植者を気取った折りも、ぼくはとてもそんな寒いところには移れないと呟いた知己がずいぶんといた。
体質が合っていたのか、北の生活を放擲もせず、いまなおそれなりに面白がって生きている。

ワンコらのとの生活もそうだ。
こいつらとひとつ屋根の下に住んで、同じ布団で川の字で寝るなどは想像もしていなかった。
たった数年のことだ。
天文学的数字を語っても、このしばらくが大異変をもたらすことを想像すれば、時間論や空間論も主観と客観、間主観性を渡る視野が必須のように思う。

存在被拘束性、あるいは想像力

国の内外にまがまがしいニュースを聞きながら、まずまず穏便に暮らせている。

このような幸せを検証してみる。
水や空気がうまい。
アフリカやアラブの砂漠には水が乏しい。
われらが国だって、しばらく前までは水争いもあった。
北京市長も空気は生きるに困難と自認した。

これらからだけでも、実にわれらが現況の暮らしは恵まれている。
曽野綾子女史のアフリカ行などはミッションに基づくものだが、そのレポートなどを読むとわれらが暮らしは世界を見渡せば王公貴族レベルと慶賀してよいレベルとわかる。

ただ、無知蒙昧から不平不満、ピント外れの、故三宅先生おっしゃるところのポン助はこのようなポイント、機微に疎く、ネットなどでは支離滅裂なごたくが空を飛んでいる。そういう有象無象がのさばるにはのさばる理由もあるわけだが、これだけボーダレスになった世界では、それもなかなかたち行かなくなってはこよう。

ということで、先般書いたように、鏡に写る己も左右が逆で、客観視などということは至難の業ではあるが、それでもあそこで生まれていたらとか、ああ育っていたらなどとささやかな想像力を駆使して己のありようを省みる。
それこそインテリジェンスというものであろう。

2015年2月1日日曜日

「私」は必要か?

今はミッション感に溢れているので全く気にしないが、そこはかとない不全感にさいなまれ所在ない空虚さに葛藤していた日々は、「私」なんぞ必要なのか、果たして自分はこの世界に必要とされているのだろうかと自問自答を続けた。
妻子のいた頃はそれでも自分が悪戦苦闘であれラッセルしないと立ち行かぬと共依存、多重依存で気をまぎらわすことができた。
しかし、自由な独り身になると、そういう紛らわしは奏功しない。

己の不在、つまりは死後を考えると、「私」の有無などどうでもいいじゃないか、とも思わなくもなかった。
しかし、とりわけスピリチュアリズムに傾倒しなくとも、評論家的、コンサルタント的アプローチを進めてみると、「私」は決して「私」で終わらない。
親の因果が子に報い、元配偶者に及び、ブーメランで死後の自分のゴーストの動きにもビビッドに影響する。
養老翁は、他人のことどもに想像力を及ばせる能力をインテリジェンスといい放ったが、まさにそのとおり。

「私」の要否を知るためにも、ひとたび狭い「私」から離れる必要がある。
そんなことは昔の人もとうに気づいていた。夏目漱石が則天去私、鴎外が「かのように」と立ち居振る舞ったのもまさにそういうことであろう。

なんだそんなことだったのか

某SNSとの格闘もポイントに気付いたお陰で悩ましさが雲散霧消した。
向こうだって人海戦術はあり得ずシステム構築の上でのことであるから、別に属人的にどうこうは言わない。
ただ、政治的 、イデオロギー的ではなく、単に内部リンクを踏んでうちを潤わせてくれれば一切文句は言わないよ、なんて仕組まれているのに気がついていれば、こういう葛藤はなかった。

ただ、それだって二人相撲、一人相撲を取ってわかったことで、アプリオリにはわかっていない。トライアンドエラーをしていなければ思い込みに生きているばかりであったろう。

こういうことはマシンも同じく。
パソコン、スマホ、タブレット等々もそれぞれ個性、甲斐性、癖がある。
また、今の時代はクラウドも噛むから、TPOで見える世界、動く世界、これまたいろいろである。

ということで、このようなことどもも続けていくしかない。
要は、シジフォスの神話、さいの河原ということだろう。
ホンに、生きていくということはそういうことだわい。

ふたつの会得

やかんが真っ黒だった。
いいい加減な料理のなれの果て。
火加減というよりはまともに料理をしてこなかった証左だ。

料理の体をなしていなかったことをなしにはできないが、この真っ黒な炭化のリカバーはないのか。
ネットで調べてみた。
ちゃんとある。
重曹でやかんそのものを煮炊きしてみるとキレイに落ちる。
ピカピカになった。

物理や化学を受験や授業で詰め込んでもこういうことはやってみないとわからない。
逆にこういうことを手技として覚えたからといって、物理化学的機序がわかるわけでもない。
長嶋さんは、バットをこう振ってと教え、王さんなら荒川さんと真剣をこう振り続けと教えるだろう。
文武両道などは言うは易く行うは至難。

こういう当たり前のことを知るにも還暦プラスアルファーが必要であった。

生きていればこそ得られた知見。
大事にするにしくはない。