2015年4月24日金曜日

さいの河原

面倒くさいとたまってきた諸々を久しぶりにクリーニング。

考えてみるに、生きているのがこれの繰り返し。
故立川談志師匠の奥さんは、掃除はゴミを他所にシフトするだけだとカッパしたので、師匠が掃除するのだと言っていたが、人間はすぐにゴミが出るのがわかっても掃除しないと生きていけないというエントロピー増大の法則によるしばりを負わされて生きる定めになっているから、どこかで諦めて作業療法のような行をするほかないのだろう。

そういや高齢化に比例してゴミ屋敷が増えている。年を取るとエントロピー増大に逆らう気力体力が落ちてくるから、一種の社会的宿命のようなものだろう。
特殊清掃戦う男blogなんぞを読むと、年寄りだけでなく若い人たちにも結構みうけられるよう。

宮台某社会論客の言うように、終わりなき日常性に倦めば、生の基本である清掃の繰り返しにも倦むのだろう。
ゴミの中で沈没というパターンも多いらしいが、一種究極の自由国家の象徴ともいえるかもしれない。
わがエントロピー回収機構は頼りなく、端正に生き死にできる自信はなけれども、ゴミの中で回天に乗り切る自信もない。

ということで、当面はのらりくらりと遊泳か。